分かることと解ること 白猫とイスタンブール

すすみかた

今日の夢は

イスタンブールで坂口恭平さんと会い、白猫が欠伸している写真をみせてもらい、私はどうしてもそれが描きたくなったので、お願いして写真をもらった。というものだった。この投稿の画像は実際に描いたもの。お絵描き楽しい。

そこそこの悩み

てんで握力が弱い。柔らかくなったペットボトルはかなり開けにくい。今朝、洗濯をしようとしたのに洗剤ボトルが開けられずに断念した。「も〜〜!」とひとりで喚いた。開けられない時は一応いろんな手を使って挑戦はする。蓋にゴムを巻いてみたり、タオルで包んでみたり。まぁ、そのへんでやめちゃうんだけど。

どうやって生活しているかというと、そういう開けにくいものは、緩く閉める。こぼれないくらい。ただ、人と共同生活をしている以上、それでは罷り通らないこともある。今日の「開かない事件」はそれ。彼が洗濯をしてくれたあとは、必ず洗剤の蓋があけられないのです。

今日の発見

(そんな偉そなことではない)

「知っていること」と「分かること」は別のことなんだよなと。

お店で働いていてとっても嫌な気持ちになることが時々あって、その正体が何なのか解けていなかったのだけど、昨日やっと、目が覚めたみたいに当然のことだったみたいに、ぱっ!と腑に落ちることができた。

勤め先のお店は狭い。それは全く問題ないのだけど、満席になるとどうしても奥の席の人へ何か届ける時に、そこまでのお客さんのスレスレを通り抜けなければならない。体の向きを変え身体を縦に伸ばし、えっちよっちソロソロと慎重に進むのだが、お客さんの座っているイスに体をかすめてしまったり、お客さんのスレスレを幅広おぼんを持って通らないといけなかったりする。

そんな時のお客さんは、きまって皆イゴコチわるそう〜な顔をしている。(私がお客さんの立場だったら居心地悪いからそう思うのかもしれないけれど。)お客さんの動きが静かな時に間をすり抜ける。溢さないように。まるでスリルを味わうゲームのようだ。好きじゃない。

で、お客さんのイゴコチわる〜な顔を見てしまうと、途端、ミスを連発する。溢したり、いろいろひっくり返したり、躓いたりぶつけたり、、、

昨日もそんなことがあって。そんなことがあった後に、わかった。ワタシ居心地の悪そうな人が同じ空間にいると、とても気になっちゃって落ち着かなくってどうにも仕事にならないみたいだ。

以前、自分が持っている資質のテストをした時にそんなようなことを言われていたので、わかっていたつもりにはなっていたのだけど。やっと目が合った。

「わかって」いても、その時になってはじめてちゃんと「解る」みたいなことってたくさんある。

そんな時の静かな衝撃が私は結構好きだ。大きな波にのまれたみたいだった。

帰宅したあと、レタスとちくわを入れてチャーハンを作った。一人ご飯は量が難しい。

やめておけばいいのに、「少し余らせると面倒だから」という理由で、1.5人前のチャーハンができた。余らせて、お腹が空いた時に食べようとしても、結局その晩中にそのチャーハンはなくなっている。そしてその日寝る前に「あ〜あ、明日のためにとっておいたらよかったな(満腹)」と思い、翌朝お腹が空いた時に「あ〜あ、今日のためにとっておいたらよかったな(腹ペコ)」って。そんなことを繰り返している。いつになったら解るのか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました