少し残念な気持ちであったのは確か。
スターにならなくても、インフルエンサーにならなくても全然いい。
でも、自分で何かやりたい!なんか実現させたい!あの人みたいにイキイキとかっこよく、情熱を持って仕事がしたい!と思っていたので、それを諦めることは、かっこわるく、情けなく感じた。
私はずっと、自分が何をやりたいかわからない。
何をやりたくないかも、まだきちんと言葉にできない。
今は、ただ自分と「違う」ことをやらないようにしたい。と思っている。
「世の中の寂しさを和らげて、皆が素直になれるように」というのが私の目的で、それを叶えるためにはなんとなく、“場所”が必要だと思った。
いつでも、誰でも、気軽に立ち寄れる場所。そんな場所をつくりたいと考えた。
似たようなコンセプトのお店で働くようになり、店長のサポートをしていると、色々思い出した。
私は昔から「何かを自分でやりたい」と思っていたし、挑戦もしてきた。が、つくづく上手くいっていない。自分が先頭に立って引っ張った事の成功体験が皆無。
どんだけ頑張っても笑えるほど上手くできない。そのくせ、自分がなんの気なくやっていた事に「助かった、よく気がついてくれた」と喜んでもらえた。
部長じゃなくてマネージャー、社長じゃなくて秘書、そういう性格なんだろうなぁと、挑戦(失敗)のたびに周りに申し訳なく苦い気持ちになった。
そう言うことを思い出した時にヌルッと、私は『目的』というメラメラしたものを手放すことにした。
諦めるというのは、明らかにするということ。決してネガティブな意味ではない。と、3日間くらい自分に言い聞かせた。有言実行する方がかっこいいと思っていたので、自己嫌悪に苛まれた。出家しようかと思った。
「踏ん張ってしがみついて、挑み続けるのを恐れた、努力するのを辞めた怠慢な奴だ」と思われるのが怖かっただけかもしれない。
書いている今も、もしかしたらただの逃げなのかもしれないと感じてくる。
イキイキ働いている人、仕事のことを考えても苦にならない人が、私はとても素敵に見える。だから私もそうなりたいと思った。愚痴を言いつつ従事する自分が好きになれず、仕事もやめた。(何にも実になっていない気がしてどうしようもない気持ちにもなる……)
かけ離れた理想像を追い求める事に疑問を感じてきた
私はイキイキ働きたいのではなく、いきいきといきていたい
お金と頭を使って考えた結果、出てきたのは残念ながらそれだけだった
私は私でいられる時間を過ごしたい。その結果がどうであれ私は自業自得だし、たいして不満もないだろうと思っている。綺麗事だとしても。
やりたいこと、やってみたいことをどれだけできるか、
私の人生ゲームを、谷も沼も山も芝も、私には人生を楽しむ責任がある
メラメラじゃなくてユラユラ、できれば揺蕩うように。
他人の色々も愛せるような人でいたくて、
気楽なようで楽ではない日々だと思うけど、毎日無駄にはしないで大切にじっくり生きていきましょう
これが新たな決断で、明らかになったものです。世間の速度に風化されないで頑張ろうね
今日も素晴らしい日になりますように。そして、あなたが変わらなければならないと思わせていませんように。
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